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和田賢秀(にぎたけんしゅう)は、南北朝時代の武将(楠正行の家臣、従兄弟)。名は「かたひで」とも読まれ、また源秀(げんしゅう)とも記される。四條畷市の墓所石碑には、正面に『和田源秀戦死墓』と刻まれている。
和田賢秀 - Wikipedia
和田賢秀公墓
このお墓は正平三年一月五日、楠正行公が、四條畷で敵将高師直の大軍と戦い討死にされた時、共に戦われた和田賢秀公の墓です。
賢秀は源秀(げんしゅう)ともいわれ、正行公とは従兄であり、歴戦の勇将で新発意ともいい、伝説によると賢秀公討死の際、敵の首に噛み付き睨んで放さず敵はそれが因(もと)で死んだ。以来、土地の人は賢秀公の霊を歯噛(神)様として祀っている。
楠木正行 - Wikipedia
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【アクセス】
JR学研都市線『四条畷駅』下車北東へ徒歩10分
コミュニティバス・京阪バス・近鉄バス『塚脇停留所』下車すぐ
JR四条畷駅から北東へ徒歩400mの地点にあるこちらの交差点を北の方角(左方向)へ約350m進むと『和田賢秀公墓』があります・・・↓ ※ちなみに鳥居をくぐって、まっすぐ東の方角へ進むと四條畷神社があります・・・
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忠烈(ちゅうれつ)の意味・・・きわめて忠義心の厚いこと。
和田賢秀墓地です・・・
![和田賢秀公墓 和田賢秀公墓](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgTpa_A7gEROEBNOYmRvBNsQvS5vWwdti0vy6O7lDvWF8EcrPbQ3PSOdThmlYnj7Mkn-3W8YwZBFcjNX06qnFVkIVvYvRiwjcGspxtlvAC0_R8t_jE_MZfk5F_RA6qo4IjAt2jvTY7v8it0/s400/%25E3%2580%2590%25E5%25A4%25A7%25E9%2598%25AA%25E5%25BA%259C%25E5%259B%259B%25E6%25A2%259D%25E7%2595%25B7%25E5%25B8%2582%25E3%2580%2591%25E5%2592%258C%25E7%2594%25B0%25E8%25B3%25A2%25E7%25A7%2580%25E5%2585%25AC%25E5%25A2%2593018.jpg)
天保二年(1831年)につくられた位牌型の墓石には『和田源秀戦死墓』と刻まれています・・・傍らには、大きな楠(クスノキ)がそびえたっております。
縦に横に斜めに・・・うねりながら広がっていく楠の枝ぶりがとても力強く・・・神秘的です・・・
↓・・・赤く染まった落ち葉がアクセントになっていて、とても綺麗です・・・趣きを感じます・・・
墓所の廻りにはちょっとしたスペースがあり、周囲にはたくさんの木が植えられていました・・・
「神域につき飲食・喫煙・犬の散歩等ご遠慮下さい。」
四條畷神社が管理しているようです・・・
少し離れた場所から撮影しました・・・ぱっと見、小さな森、公園のような雰囲気です・・・↓ ※前を通る道路は東高野街道(170号線)です・・・
↑ん?なにやら・・・バス停の左側にある電柱付近に赤いものが見えます・・・
↓・・・近づいて確かめてみました・・・ザクロの実です・・・秋の味覚・・・
美味しそう・・・♡
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(2016年10月12日 写真撮影)
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